新宿歌舞伎町の歴史と和食の老舗|新宿あぐら屋が歩んだ半世紀
東京・新宿歌舞伎町。
ネオンと人の流れが交差するこの街は、いまや「眠らない街」として世界的に知られています。
しかし、その始まりは戦後復興の中、焼け跡から立ち上がったひとつの構想にありました。
戦後の復興と歌舞伎町の誕生
第二次世界大戦で焼け野原となった新宿の一角に、「歌舞伎座を誘致して文化の街をつくろう」という構想が立ち上がりました。
実際に歌舞伎座は建設されなかったものの、その名残として「歌舞伎町」という地名が誕生。
1950年代には映画館や劇場が次々と建ち並び、芸術と娯楽の街として発展していきました。
昭和のにぎわいと外食文化の広がり
高度経済成長期を経て、人々の暮らしに余裕が生まれると、外食文化が一気に花開きます。
居酒屋や大衆食堂が増え、会社帰りのサラリーマンや観光客で賑わう「夜の街」としての姿を確立しました。
街には映画を観て、食事をして、酒を酌み交わす人々があふれ、昭和のエネルギーが渦巻いていました。
1974年、新宿あぐら屋の誕生
そんな中で、昭和49年(1974年)、歌舞伎町に「新宿あぐら屋」が創業しました。
当時の歌舞伎町は、まさに「エンタメと食の交差点」。
その中で新宿あぐら屋は、すっぽんやふぐといった滋養豊かな和食、薬膳料理を提供する店としてオープン。
「美味しい料理で明日の元気を届けたい」という想いのもと、街の喧騒を忘れさせる落ち着いた空間を提供してきました。
現在の経営理念「今日の美味しいを、あしたの笑顔に」もここから始まっています。
バブル期から平成へ、変わる街と変わらぬ味
1980年代から90年代にかけて、歌舞伎町は日本経済の浮き沈みをそのまま映す街でした。
バブル期には豪華な飲食やナイトライフが盛り上がり、平成に入ると多様な飲食店やエンターテイメントが集まる国際的な街へと変化。
そんな中でも、新宿あぐら屋は「滋養と美味しさを兼ね備えた和食」を一貫して提供し続け、常連客や接待で利用するビジネス客に愛されてきました。
令和の歌舞伎町と老舗の存在感
現在の歌舞伎町は、観光客やインバウンド需要も加わり、昼夜を問わず賑わいを見せています。
一方で「老舗」と呼ばれる店は少なくなり、昭和から続く飲食店は貴重な存在となりました。
新宿あぐら屋は、半世紀にわたり街の変遷を見つめながらも「本物の和食」を守り続けています。
その存在は、移り変わる歌舞伎町の中で「変わらない安心」を提供する象徴になりつつあります。
最後に「変わる街と変わらぬ味」
新宿歌舞伎町は、戦後復興から現在に至るまで、常に変化を続けてきました。
映画と劇場の街から、外食文化と夜の街へ、そして今では世界が注目する観光拠点へ。
その流れの中で、昭和49年に創業したあぐら屋は「変わらぬ和食の味」を守り続けています。
華やかに変わりゆく街の姿と、落ち着いた老舗の空間。
その対比こそが、歌舞伎町の歴史を味わう特別な体験となるのです。